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本当に難しい話ですね。。。
どう思う、と言われると答えにくいのですが、私も送り主様と概ね同じ考えです。ただ、感情は(人間ほど複雑でないにしても)他の動物も持っていますし、自己中心的、残酷と思われる行動も、人間に限ったことではないと思います。
たとえば、犬は嬉しいと尻尾を振る、猫は機嫌が悪いとイカ耳になる、のように、人間が把握できるだけでもある程度高度な動物は感情を持っています。人間関係によるトラブル云々は、類人猿などの群れを観察すると見られることもあります。野生動物の間では滅多に起こりませんが、威嚇のしあいなどで決着がつかなかったとき、群れやその代表が戦うという行為はある種の戦争と見ることもできます。
では何故、人間が自然の摂理を破壊したり、自己中心的・残酷と思われる行動をしたりするのが目立つのかというと、それは人類が開発した技術に起因するのではないかと私は考えます。自然の摂理を破壊する行為として、例えば生物数のバランスの崩壊を上げましょう。ここではある生物が著しく数を減らしたり増やしたりすることを指しますが、自然界でもごくたまに、何らかの原因である生物が増えすぎ、その補食対象が被害を受けることがあります。具体的には、蝗害などがこれにあたるかと思います。普通は滅多に起こりえないことですが、人間は発展した技術によって乱獲などを行い、他の生物よりも比較的容易にこういったバランスの崩壊をさせることができます。また、自己中心的、残酷、という考え方は、感情が発展して複雑化したことで生じたもののように思います。たとえば、人間が生き物を生きたまま食べる、という行為は、(まれに踊り食いなどもありますが)一般的には残酷な行為として捉えられます。しかし、自然界ではこういった行為は比較的当たり前に行われており、残酷だとはあまり考えられていません。自然界は弱肉強食、弱いものから食べられて死んでいく、という考え方も、賛否両論あるとはいえ一般的には当たり前に考えられていますが、裏を返せば、助け合いなどしない、自分が生き残るためには他の種のことなど構わない、という風にも読み取れます。この摂理は自己中心的に生きていることが前提ではないのでしょうか。
とりとめのない話になってしまい読みにくかったかと思いますが、頑張って一言でまとめると、人間は技術の発展により行為の規模が大きくなり、感情の発展によりそれを客観視して自己中心的、残酷だと感じられるようになった、というのが私の意見です。人間特有と思われる行為もおおもとは他の動物と一緒で、ただその規模や捉え方が異なる、という感じですね。
中々に答えにくかったのであとで読み返して恥ずかしくなるかもしれないですが、こんな回答で大丈夫でしょうか。。。
S Ritsucaさんが過去に答えた質問(ランダムに表示)
現在の区分でいうと、おそらく爬虫類かと。...
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別にそんな大層なにおいとかしませんよ。た...
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うーん、特に...?パッとは思いつかない...
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幸い、体調を崩したり怪我をしたりしなかっ...
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ココだけだろうが世界中どこでもだろうが、...
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